2014年5月4日日曜日

「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録の見通し!蚕都上田との繋がり

ユネスコの諮問機関は「19世紀末期に養蚕と生糸産業の革新に決定的な役割を果たし、
日本が近代工業国に仲間入りする鍵となった」と歴史的な価値を高く評価し、
世界文化遺産は登録数の増加に伴い、審査が年々厳しくなっているとされるが、
富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録の見通しとなりそうな!
日本の近代化を支えた「産業遺産」富岡製糸場HP

信州と縁の深い製糸場でもあり、うれしいニュースである。

群馬県内ではいくつもの絹産業遺産を、富岡製糸場とともに世界遺産にする
運動が行なわれています。長野県でも、岡谷市、上田市、須坂市で、
富岡製糸場とともに絹産業遺産を世界遺産に登録する動きが始まっていた。

桑を作り蚕を飼い、蚕種或いは糸を取り、更に絹を織る一連の業務を蚕糸業。
明治から大正時代には「蚕都上田」と言われたように
上田は政治、経済、文化において蚕糸業に負うところが大きかった。

当店も現在の場所(紺屋町)で明治の頃、竹細工・蚕具店営んで居りました。
又、紺屋(染物業)は勿論の事、養蚕師(糸)・繭買付・蚕種製造とあり、
足袋屋・ランプ屋・桶屋・砂糖屋・小間物屋・衣類・質屋・宿屋・酒屋
多くの業種でこの北国街道筋は賑やな往来があったとか聞いています。

明治25年(1892年)、「小県蚕業学校」として創設された、
当時の基幹産業であった製糸業を支える養蚕技術者の育成を目指した学校であり、
本年、創立122周年となる長野県で2番目に古い高校もあり、
信州大学繊維学部は「繊維」の名を冠する国立大学唯一の学部である。
昭和40年代以降、全国の大学の学部、学科名から「繊維」が消えていくなかで、
守り続けてきた。いまや、先端的な繊維研究の拠点で、
繊維に関する論文数は世界の繊維系大学で第1位である。

少女たちが紡ぐ生糸が、日本の未来を紡いだ
明治時代、貧しさから信州岡谷の製糸工場へ糸紡ぎ工女として赴き、
過酷な工女生活の中、悔いなく健気に生き抜いた
飛騨の少女たちの姿を描いた青春群像劇。
大竹しのぶ/原田美枝子/友里千賀子/古手川祐子/三国連太郎/西村晃/地井武男

野麦峠(山本茂実のあゝ野麦峠より)点描 


政府インターネットテレビ-   皇后陛下のご養蚕
皇后陛下は,昭憲皇太后が明治4年にお始めになった
ご養蚕を香淳皇后からお引き継ぎになりました。
皇后陛下は,毎年,春から初夏にかけ,ご公務の合間や休日に,
しばしば,皇居内の紅葉山御養蚕所や桑園にお出ましになり,
養蚕の様々な作業に携わっておられます。2014/02/14


内容 多くの人びとが蚕都上田の歴史を編み上げました。
なぜ「蚕都上田」の「人物編」なのか­、
そこから何が見えてくるのか、「蚕都上田」の価値を問い直すフリートークです。





中部地方から関東西部にかけての地域は養蚕・製糸・織物業が盛んな地域であり、
織都桐生、桑の都八王子、生糸の都岡谷市、蚕都上田など、
富岡(群馬県),岡谷(長野県)に続く日本第3位の生糸の町として,
最盛期には町内に6,000人の女子工員が働いていた
丸子町(まるこまち)の製糸業の盛衰のいきさつを,
「日本第2位の生糸の町・岡谷」と対比して分析します。



蚕都上田プロジェクトが「蚕都上田お宝発見2009」で実施した
「蚕都上田まちあるき〜市街地編〜」の記録です。
(1)上田城跡公園〜北国街道(2)柳町(3)原町(4)横町周辺
(5)大正館〜上田蚕種(6)市役所周辺
http://ueda.ctv-blog.jp/u/maekawa/archives/0000023772.html





蚕都上田まちあるき~西塩田・別所編~

(1)西塩田:手塚地区 西塩田・別所編~(7)別所・氷沢風穴+野倉 https://www.youtube.com/watch?v=VfmoBOgRGCw




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