2012年9月24日月曜日

「浦野学校」の校名板、無事 


「浦野学校」の校名板、無事 

真田幸村は知っているが上田市へ
「浦野学校」の校名板、無事 上田・浦里小 南校舎2階広間に掲げられている「浦野学校」の校名板

信濃毎日新聞[信毎web] より  
火災で校舎など5棟を全焼した上田市浦野の浦里小学校で、幕末から明治時代にかけての
政治家山岡鉄舟(てっしゅう)(1836~88年)が揮毫(きごう)した同校の前身「浦野学校」
の 校名板が焼失を免れ、地元住民らが胸をなで下ろしている。全焼した旧管理棟(旧校舎)
の 正面玄関に長年掛けられていたが、多くの人の目に触れるようにと昨年3月、
今回の火災で無事だった南校舎に移されていたため、難を逃れた。


 
         
 
地元では、校名板の彫刻は上沢(あげさわ)村(現在の上田市神川)の宮大工、
竹内八十吉 (やそきち)が手掛けたと伝わっているが、はっきりしない。
同課は彫刻が八十吉 の作か 確かめるため、昨年3月に校名板を取り外して調査。
結局、作者は特定できなかった。 業者が元の場所に戻そうとしたところ、
浦里小側から「児童らの立ち入りを禁止している旧校舎より、
みんなが見られる場所に置いてほしい」と要望。その後は南校舎2階の広間に飾っている。
渡辺さんは「浦里小のシンボルが助かったのは奇跡的。
燃えてしまったと悲しんでいる卒業生も
多いと思うので、無事を伝えたい」と話している。
              
         浦里小を支援 「高齢者の会」 火災からの復興「将来へ全力で」
      

一方、全4自治会は、同校を支援するためめに地元住民に呼び掛けた

募金を19日で締切り、総額387万7510円が集まった。近く学校側と相談して
児童のための 物品を購入し、寄贈する予定だ。